1.17
平成7年1月17日当時私は兵庫県加古川市に住んでいました。連休明けの初日、普段はJR新快速で大阪市の北浜まで通っていました。
その日普段とは違った仕事だったので、芦屋市の役員宅まで自宅から社用車で早朝から移動し迎えの後、出社する予定でした。
携帯電話がまだあまり普及していませんでしたが、会社の携帯電話、車ににはMCA無線がありました。
自宅出発後すぐに携帯電話へ自宅から「大きな地震」情報があり、むしろ急いで大阪方面へ向かっていました。
目の前で阪神高速の入口ゲートが閉鎖されました。
あれから24年 知人が犠牲となり負傷し、家を失い…
約半年位は作業着で出社し対応に追われました。
阪神淡路大震災は日本で現在のボランティアの原型が出来たと言われています。
昨年は「災」が年間の漢字でした。あらゆる災害が私達の回りに毎年のようにおこっています。
地震の予知はできない、火山噴火もかなり難しい、台風の進路は大体わかるようになった、局地的豪雨、これもなかなか難しい。
出来る事は「いつでも備える」事なんでしょうか…
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